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新潟県の神社訪問26 金峯神社

神社訪問

新潟県の神社訪問26
長岡市西蔵王二丁目
金峯神社

■金峯神社(きんぷじんじゃ)は長岡市の蔵王の森に鎮座する旧県社である。近在の人々には古くから「蔵王さま」と呼ばれて親しまれる。

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■宮司の桃生保男(ももお やすお)さん(77)は、県神青協会長や神社庁祭式講師、長岡支部長などを歴任された本県神社界の功労者である。編集子(栗田)なぞは、神社庁入庁以来、何かとお世話になったので、取材という名目で久しぶりにお目にかかれるのは楽しみでもあり、(叱られるかもしれないが)気楽でもあった。

 しかし取材直前に下調べを始めた途端頭を抱えた。由緒も年中行事も多彩で奥深く、とても小欄では紹介し尽くせない。ここは部分的な紹介でご勘弁戴く他ない。

■和銅2年(709)元明天皇の勅願により、北国鎮護のために大和国吉野(奈良県吉野)より蔵王権現を古志郡楡原に勧請したのがその創建と伝えられる。一時は大伽藍を擁し、山伏修験者数千人(!)を有する巨大勢力を成したという。

 やがて仁治三年(1242)、又倉村(現在地)に遷座し、産土神たる又倉神社と習合する。又倉村は当時中越地方の中心として栄えていたが、蔵王権現の信仰が弥増すにつれて、又倉神社は蔵王権現境内社の位置付けとなり、地名そのものも又倉村から蔵王村へと変わっていく。

 江戸時代になると、ここ蔵王の地は天領となり、代官所が設けられる。当時蔵王権現は「(長岡・三島・古志)八十ヶ町村の総氏神」「越後中越地方の総鎮守」などと崇められた。最盛期には坊屋敷が13坊、社家が6軒あったというから相当の隆盛を誇っていたというとがわかる。

 明治維新後の神仏分離によって蔵王権現(蔵王堂)は神祇と決し、金峯神社と名称を改め、御祭神も正式に金山彦命と定められた。又倉神社の御祭神である大地主命、須勢理比売命、奴奈川比売命は現在相殿にお祀りされている。

■同神社の年中行事の中でも特に有名なものに、7月15日の例祭に併せて行われる勇壮な流鏑馬(やぶさめ)神事と11月5日の王神祭(おうじんさい)がある。

 王神祭は秋の収穫に感謝する神事だが、次第の中に「年魚行事」と呼ばれる大変特殊な行事を含む。これは信濃川で獲れた鮭を神前で斎主が直接手を触れずに2本の鉄箸と包丁で3枚におろし鳥居の形に整えるのである。毎年、百人程の参列者が真剣に見守る中で厳かにこれを行う。

 宮司さんに愚問を投げかけた。「やはり毎年のことでも調子が良い時と手間取る時とあるものですか」「うん、少し時間がかかることはあるね」

 「王神」とは、又倉神社の御祭神のことを指し、その御神威を称えてこのように呼称したのだとされる。この神事の古式の様は他に類を見ない。昭和36年には新潟県指定無形文化財に指定されている。

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■神社は平成15年5月に不審火により拝殿を全焼している。この時、別棟になっている本殿は類焼を免れたが、翌平成16年に襲った中越大震災は、本殿基礎部分にも被害をもたらした。しかしこうした困難を氏子崇敬者と共に乗り越え、平成17年に社殿修復を完工。平成21年には御創建千三百年祭を賑々しく斎行した。

 殊に平成21年7月に斎行された御創建千三百年祭に当たっては、祭儀は勿論、地元の蔵王里神楽保存会や蔵王稚児舞の会による舞の奉納、県神青協女性会員奉仕による浦安の舞、長岡フルートアンサンブルや長岡雅楽愛好会による演奏、二田物部神社神楽舞保存会による神楽等々、実に盛り沢山の内容が神前に奉納された。

 平素からこうした様々な企画・準備に奔走しているのは、宮司のご子息で同神社禰宜の桃生鎮雄(しずお)さん(41)である。宮司さんとしてはさぞ心強いに違いない。さりげなく問いかけると、「そうね、この頃はもうみんなお任せという感じかな」と応じつつ柔和な笑顔を見せた。

 尚金峯神社には公式ホームページがあり、やはり禰宜さんが担当されている。
金峯神社ホームページ

(神社庁 栗田)
【平成24年10月1日「庁報新潟」第96号より】
※内容は庁報掲載時のものです。

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