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ふたつの森の文化

エッセイ
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 高校在職中、私は文部省後援の海外ホームスティ・プログラムに携わっていて、夏休みにいつも十数名の生徒を引率して欧米各国へ出かけていた。

 その際、私は生徒達への課題として、日本の昔話の中から各自が好きなものを選んで、滞在先の交流会で英語で語らせることにしていた。この催しはなかなか好評で、学校や公民館などから何度もお呼びが掛かるほどであった。

 ある年、ドイツの小さな町の交流会で、「お爺さんは山(英語では森と訳した)へ柴かりに、お婆さんは川へ洗濯に・・・」という我々にはなんの疑問も起こらない箇所に、
「どうして老人がたったひとりで森へ行くのですか?」
という質問が出た。老人をひとり手ぶらで森へやるのは危険ではないか、というのである。

 私はそれを聞いて、こうした質問が出された背景がわかるような気がした。ヨーロッパの詩や物語を読んでいると、そこに描かれている森のイメージは、我々のものとは随分違うらしいのである。

 ヨーロッパの子供達にとっては、森とは暗くて恐ろしいところ、奇怪な妖精やおおかみの住みかであり、その森へ行くには狩人は馬にまたがり、鉄砲(昔は弓矢)で武装し、訓練された猟犬を何匹も連れていかなければならないところなのである。

 一方、我々が森に抱くイメージはそれとは逆で、四季折々に山の幸を運んでくれ、燃料や住宅材の供給地であり、迷い込んでいくうちに、もしかしたら桃源郷に至るかもしれないという、限りなく夢のあるところなのである。

 ヨーロッパ開拓の歴史は、その暗くて恐ろしい森を伐り開いてオープンランドをつくり、そこに都市と牧草地をつくることだったといってもよいであろう。

 梅原猛さんの戯曲『ギルガメシュ』にもあるように、西欧最古の叙事詩といわれるこの物語の中に、象徴的な話がある。シュメール王ギルガメシュが、青銅の手斧(これは近代文明のシンボルであろう)を携えて、レバノン杉の茂る美しい森へ出かけ、森の守護神フンババを惨殺し、森を伐り開く話である。

 最近の新聞によれば、地球環境保全の国際会議がまとまらないという。とくに熱帯林の破壊について、西欧諸国は焼畑農耕がその元凶だと非難し、焼畑農耕民は近代資本による大規模なプランテーションの造成こそがその原因だと、お互いを非難し合っている。

 もしかしたらこうした対立の背景には、森についてのまったく異なるふたつの文化の違いがあるのかもしれないと思うのである。

(新潟市・神明宮宮司)
【平成13年5月1日「庁報新潟」第62号より】
※内容は庁報掲載時のものです。

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